少し前に、甲野氏と松村氏の対談にあった動きの上達の2大要件「面白くて命懸け」の「命懸け」についてお話したと思います。
動作の質と「命懸け」という記事ですが、死のリスクと隣り合わせである事が体の性能を高めてくれるという内容です。
で、その記事を見てくれた方から「面白くて」の部分の見解も聞いてみたいという声をいくつか貰いましたので、今回はそっちの話をしてみます。
動作の質と面白さの関係についてです。
見た目だけに捉われない本質的な体を目指す方には参考になると思うので良かったらみてみて下さい。
前提の面白さ
それでは早速始めたいと思いますが、前回は優れた体の使い方を身に付ける上で「命懸け」の要素が必要不可欠と言う事でした。
しかし、実はそれだけでは不十分です。命懸けという要素だけあっても動作は上達しません。
大前提として「面白さ」が必要です。
命懸けという要素は、面白さという要素が前提にあって初めて前向きに機能するものなのです。
例えば、前回の自転車の例を思い出して下さい。
幼少期、非常に難しい補助無し二輪が乗りこなせるようになるのは、大怪我などのリスクと隣り合わせである事が強く関係していると話しました。
しかし、そこには面白さという前提条件が必要です。
何故なら、面白く無ければ命懸けの事はできないからです。
僕達が何度も転んで、膝を擦りむいて、血を出しながらも自転車の練習を続けたのは面白かったからです。
ペダルを漕ぐという感覚、
バランスを保って進む感覚、
自分の足以外による移動という感覚、
それまでに味わった事の無かった非日常の体験が手に入るという面白さがあったからこそ、命懸けのリスクに何度も挑戦できたわけです。
ただ単純に怖い思いをするだけだったら誰も練習なんか繰り返しません。
1度転んだ時点で「これは危ない、止めよう」という本能が働いてその場で中断するはずです。
命懸けというのは単体では意味を持ちません。
面白さと両輪になる事で初めて極限まで集中力が高まって、あり得ないスピードで進化が加速していくのです。
前回、体操選手が非常に優れた体を持っているという話をしたと思いますが、それは体操が命懸けだけでは無く、面白さという要素もバッチリ入っているからです。
そもそも体操には遊びの要素があります。
子どもの頃を思い出して欲しいのですが、誰しも夢中で体を回して遊んでた事があると思います。
でんぐり返しから始まって前転、後転、側転、倒立、体操には非常に面白い要素があるのです。
運動神経の良い方はその後にバク転やハンドスプリングへと向かっていくわけですが、その辺から命懸けのリスクが高まり、面白さとの両立で体の使い方が上手くなっていくわけです。
アルペンスキーの例も同じです。
スキーやスノボーをやった事がある人はわかると思いますが、ウインタースポーツには面白さがあります。
雪道を滑走するのは非常に楽しく、本当に朝から晩まで遊べてしまいます。
そして、上達してくると自動車並みのスピードで滑走できるようになり、急斜面やコブが乱立する場所も自在に進んでいく事ができるようになります。
この辺から命懸けの要素が入ってくるわけですが、アルペンスキーではその命懸けと面白さのレベルが最大まで高まるため、動作が極限まで上達するわけです。
命懸けだけど面白いから夢中になれる、こういう状態に入るのが重要だという事です。
そして、これも筋トレに当てはめて考える事ができます。
筋トレでも面白さは重要な要素になります。
前回、ベンチプレス、デッドリフト、スクワットのBIG3は命懸けなので体の性能が高まるという話をしましたが、それも面白さが無いと意味がありません。
例えば、スロトレでやってしまうようなケース。
自分の筋力に制限をかけてじっくりゆっくり負荷をかけるスロトレはハッキリ言うと面白くありません。
何故なら、全力が出せないから。
これは以前のトレーニングセミナーでも重要事項として取り上げましたが、人は全力を出す事に対して強いモチベーションを持っています。
自分のあらん限りの力を振り絞って全力で挑戦するのは気持ちいいのです。
しかし、スロトレのようにわざわざ自分の力を制限するようなトレーニングではその楽しさが得られません。
「やりたいのにできない…」「できるのにやれない…」というような、ある種の不自由さを感じてしまい、全くもって面白さとは縁遠くなっていくのです。
こうしたやり方ではいくら命懸けのBIG3でも動作の上達は見込めないと思います。
そもそもスロトレは重量を極端に落とすため怪我のリスクが自動的に下がりますから、命懸けという要素も減ってしまいます。
それこそ、前回話したデッドリフトによる股関節主導の体の動かし方や、スクワットによる腹圧の掛け方などは覚えられないと思います。
スロトレは安全と引き換えに、面白くて命懸けという精神性を失い、実用性から遠ざかってしまったのです。
面白さと自由さ
さて、面白さを考える時、もう1つ大事な事があります。
それは「命懸け」は「面白さ」が無いと機能しませんが、「面白さ」は単体でも有効に機能するという事です。
面白いという事はそれだけでモチベーションを高め、トレーニングの効率を引き上げてくれる作用があります。
これをどうやって筋トレに応用するかと言うと、例えば懸垂です。
懸垂は背中を鍛える最も有名な筋トレですが、背中は鍛えるのが非常に難しい部位の1つです。
ずっとやっている人はわかると思いますが、背中は筋肉痛もなかなか起こり辛く、本当に鍛えられているのか不安になったりします。
それ故に、様々なフォームの改善案を示唆されます。
一番オーソドックスなのはワイドグリップ。
手幅を広くすると腕の参加率が下がるという事で可能な限り手幅を広く取る事が勧められたりします。
他にも親指フリー。
バーを強く握ると腕に力が入って背中に効きづらいという事で、強制的に握力を弱めるよう親指を離してしまう方法があります。
それからエビ反りでの引き上げ。
体を垂直に引き上げると広背筋に効きやすいという事で、体を反らしてバーに胸を近付けていくような上げ方があります。
この他にも懸垂には色々なフォームの改善案が示唆される事が多いのですが、ハッキリ言ってこういう事をしていると面白さが無くなります。
広背筋に効かせようと思って色んな事に気を使って筋トレをしていると面白くないのです。
これはスロトレによる力の制限と全く一緒の理屈で、あれこれ動きを束縛される事で自由さが無くなって嫌になってくるのです。
男女の付き合いでも束縛されると苦しいように、筋トレもガチガチに固められると辛くなってモチベーションも下ってきます。
モチベーションが下がるというのは筋トレにとって致命的で、「後1回」が上がらなくなります。
これも以前言った事がありますが、筋トレは「後1回」が大事であり、それが全てです。
8回できるところを、7回やっても意味がありません。8回できるところを、8回以上やって初めて効果が現れます。
そうしなければ乳酸機構というものが発動せず、有酸素扱いになって成長ホルモンの分泌も起こりません。
フォームを気にして色んな制限をかけて行くとモチベーションが下がって最後の1回が上がらなくなり、実に本末転倒な事が起こりえるのです。
しかも、無理して制限した動きは怪我を誘発します。
腹筋の回でも話した通り、部分的に筋肉を動かすと一部収縮が起きて筋肉が痙攣してしまう事があります。
自然に任せてみる
ではどうするのか?
誤解を恐れずに言えば、フォームなんて気にしなければ良いのです。
手幅は一番力の入りやすいポジションです。
腕に効くとか背中に効くとかそんなのは関係無く、思いっきり力を込められそうな位置で握ります。
親指も使います。
必要以上に強く握る事はありませんが、適度に力が入りやすいように握ります。
体も変にエビ反りにしたりはせず、素直に真っ直ぐ引き上げます。
広背筋を意識した変な制限はかけず、腕も腹筋も起立筋も全てを使って上げます。
つまり、自然体です。
自分にとって一番自然な方法で懸垂をすればいいのです。
すると何と気持ちの良くできる事か。
子どもの頃に塀を登って遊んでいたあの頃の感覚、苦しいはずの筋トレに楽しさが生まれます。
懸垂に「面白さ」という要素が入るのです。
そうなるとモチベーションが高まってラスト1回までフルパワーで行う事ができます。
途中で嫌になって失速するような事は無くなり最後まで力を使い果たす事ができます。
その結果、変に動きを制限していた時よりもずっと強い筋肉痛が起こって、広背筋もより鍛えられるようになるのです。
しかも、怪我のリスクも下がります。
全身が連動して動くので一部収縮は起こらず、しなくてもいい怪我を回避できるようになります。
そもそも自然にやっていれば怪我なんてしないものです。
不自然な事をするから不自然な怪我をします。
怪我をしてしまったらそれは不自然な事をしたと反省して、本来あるべき姿に戻るべきなのです。
これがあるべきスタイルだと思っています。
僕も今まで散々色んなフォームを試してみてコンサルでそういう指示も出して来た事がありますが、今はこういう考えに落ち着いています。
大切なのは目の前の合理性に目を奪われて全体の本質を見失わない事です。
持てる力をフルに使って遊ぶ事。
自然に全体を使って動く事。
そうする事で「面白さ」という要素が加わり体の性能をより大きく引き上げてくれるのです。
という事で、今回は命懸けに続いて面白さという側面から筋トレの話をしてみました。
参考になった事があれば各々のトレーニングに取り入れて活かしてもらえたらと思います。
それではまた。
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