男性は体を大きくしたいと考える人が多いと思います。
肩幅を広げたい…
胸を厚くしたい…
腕を太くしたい…
とにかくガタイを大きくしたいと願う人はたくさんいます。
ウェストが増えない範囲で胸囲を増やしたい…
脂肪の増えない範囲で体重を増やしたい…
そう考えて肉体改造に励む人がほとんどではないかと思います。
大きい事は強さの証であり、大きくするのはロマンであるというのは、大昔からある男性の特徴の1つです。
そして、この概念が鋭利になってくると、それが正義であると言わんばかりに他人に攻撃的になる人もいます。
例えば、筋トレをしていて余り体が大きくない人に対して、
「そんな筋トレ意味ないよ」
などのダメ出しをする人が出て来ます。
ネットで筋トレ動画を配信している人に対しても、
「細過ぎる」「貧相な体」
など悪口に近いコメントをする人も大勢います。
しかし、そんなサイズ至上主義者の方達には少し踏み留まって考えて欲しい事があります。
体が大きくなるという事はそんなに良い事でしょうか?
確かにパワーは上がるかもしれませんが、生物がサイズを増やすというのは重大な欠点に繋がる事もあります。
逆に体が小さいというのは悪い事ばかりではありません。
力比べなどでは劣るかもしれませんが、本質的な強さに繋がる事があります。
今日はこの話をしたいと思います。
体を大きくするという事はどういう事か?
体を小さくするという事はどういう事か?
単純な見栄えの話では無く、もっと大きな視点で考えた善し悪しの概念をお伝えしたいと思います。
肉体改造のパラダイムが変わるかもしれませんので、興味あれば見ていって下さい。
サイズが意味するもの
さて、進化の観点から見ると、体を大きくするという事は「非効率」になるという事です。
体を小さくするという事は「効率的」になるという事です。
大きな体はそれを維持するために常時、大量のエネルギーが必要となります。
それは常日頃から大量の食事が必要という事であり、エネルギー効率が悪いと言い換えられます。
飢餓に弱く、死にやすい体とも言えます。
資源を無駄に使う、地球に優しくない体とも言えます。
逆に体が小さければ少ない資源で動き回れるので、エネルギー効率が高いと言えます。
飢餓に強く、生きやすい体とも言えます。
資源を無駄にしない、エコな体とも言えます。
今「無駄」という言葉が出て来ましたが、これを使って別の表現をしてみましょう。
体を大きくするという事は「無駄を作る」という事です。
体を小さくするという事は「無駄を削る」という事です。
これは機械に例えるとわかりやすいと思います。
一昔前までテレビはブラウン管が主流でしたが、かなり厚みがあってサイズが大きかったですよね。
しかし、今では液晶がスタンダードになって、非常に薄くサイズが小さくなっていると思います。
現代ではブラウン管テレビは正に無駄の塊です。
不必要に大きなスペースを取ってしまうという何とも非効率な物体になっていると思います。
逆に、薄型液晶テレビは無駄がありません。
物理的スペースが極限にまで抑えられていて、非常に効率的に作られていると思います。
テレビだけでなく機械の進歩は無駄を削る事が1つの課題であり、パソコン、携帯電話、自動車など、近年ハイスピードで小さく進化しています。
この観点から言うと、筋肉で無駄の代名詞は速筋です。
以前のトレーニングセミナーでも言いましたが、速筋はエネルギー確保のためにサイズを大きくするという非常に単純な方法を採用しています。
その結果、鍛えれば鍛える程、無駄にスペースを必要とし、エネルギーも大量に消耗する非効率な体になってしまうのです。
逆に、遅筋はエネルギー確保のためにサイズを変えない方法を採用しました。
具体的にはミトコンドリアを増やすという事ですが、これにより無駄にスペースを広げる事なく、効率的にエネルギーを生み出す事に成功しているのです。
実はこうした体の作りの違いは、男女の脳の差にも見られたりします。
最近行った脳に関するセミナーでは詳しくお話しましたが、脳画像研究から脳の大きさは、男性より女性の方が小さい事がわかっています。
しかし、小さいからと言って女性が男性よりも劣っているわけではありません。
女性の脳は非常に効率的に出来ているため、大きくなる必要が無かったのです。
一方、男性の脳はそういった融通が効かず、単純にサイズを大きくする事で進化して来ました。
そう考えると、むしろ脳的には女性の方が優れていると思う方がより自然な感じがすると思います。
2種類の進化
少し脱線したので話を戻しましょう。
筋肉や脳の話からもわかってくると思いますが、何事も大きくしようとするのは男性の特徴の1つです。
速筋割合も男性の方が高く、体を大きくしようとしているのがわかります。
何故、こういう違いが起こっているかと言うと、個人的には「性淘汰」が関係していると考えています。
性淘汰とは異性を巡る競争を通じて起きる進化の事ですが、簡単に言えば、モテるための進化です。
クジャクなどが良い例ですが、雌へのアピールのため、雄はより大きく鮮やかな羽を付けるようになります。
雄の性淘汰に一役買っているのはテストステロンで、テストステロンは体を大きくする働きがあります。
クジャクの羽が大きくなるのもテストステロンの影響ですし、筋肉が大きくなるのもテストステロンが関係しています。
生物界の雄は基本的にサイズが大きい方がモテる傾向にあるため、性淘汰に従ってテストステロンはそれを叶えているのです。
しかし、体を大きくするという事は「自然淘汰」の観点から見ると不都合です。
自然淘汰とは生存を巡る競争を通じて起きる進化の事ですが、簡単に言えば、生き抜くための進化です。
この自然淘汰に従えば、大きな体は捕食者に見つかりやすくなるため、余り望まれたものではありません。
それこそクジャクの羽なんてものは、余りにもリスキーな産物です。
性淘汰と自然淘汰は対立する部分がかなりあって、生物は両方のバランスを取りながら進化してきたのです。
ここまでの話を踏まえるとわかってくると思いますが、体を大きくする事は偉いわけでも何でもありません。
効率性が落ちますし、無駄が多くなりますし、自然淘汰の観点からも優れた戦略ではありません。
体は小さい方が有利な事は多いのです。
これは何も抽象的な話だけで終わるわけでは無く、実際の運動パフォーマンスでも言える事です。
例えば、筋肉が付き過ぎてしまうと、それが邪魔で関節の可動域が狭くなる事があります。
また、筋肉は重いので多過ぎると軽やかに動けなくなります。
大腿四頭筋などのブレーキ筋が発達し過ぎると、スピードは更に落ちていきます。
そして、確実に持久力は落ちます。
「大きさこそ正義」なんてのは可笑しな話なのです。
男性性と女性性
ここで勘違いして欲しくないのですが、僕は体を大きくしない方が良いと言っているわけではありません。
そもそも男性には性淘汰の圧力、テストステロンの呪縛があり、否応なしに体を大きくしていくコンパスが備わっています。
女性が痩せたくて仕方ないのと同じように、男性も体を大きくしなければ気が済みません。
ちなみに、この大きくするという考え方は男性にとって一種の「衝動」で、体に限った話ではありません。
これも脳のセミナーでは詳しくお話しましたが、収入も、ビジネスの規模も、ベンチプレスの重量も、登る山の高さも、サイズを大きくしていくのは男のサガです。
生まれながらに備わっている男性性によるものですから、それに逆らおうとする事自体が余り意味がありません。
と言うか、性淘汰の観点から考えて体の大きさは重要なので、適度に肥大していくのは良い事だと思います。
しかし、大事なのはどこかでブレーキをかけるのを忘れない事です。
先程から言っている通り、サイズを大きくするのは男性性ですが、それと対立する女性性というものがあります。
効率が良く、無駄が無く、生存能力を高めるような思考ですが、男性もそういった女性性とのバランスが重要です。
とにかく大きくするという男性思考に偏り過ぎていくと、男性性と女性性のバランスが崩れてしまう可能性があります。
そして、バランスを欠けばどんなものでも現実に不都合が生じます。
それこそ、パフォーマンスが落ちるかもしれないし、無理に食べ過ぎて健康を害するかもしれないし、ステロイドに手を出して人生を棒に振るかもしれません。
ですから、どこかでバランスを取る意識を持って下さい。
わかりやすさに飛びつくのは簡単ですが、だからこそ、そこに落とし穴が隠れている可能性があります。
自分の理想と正しいバランスを天秤にかけながら、慎重に運動や食事のメニューを考えてみて下さい。
それを繰り返し繰り返し行っていく事で、肉体的にも精神的にも健全で心地良い状態が作れるはずです。
という事で今日はこの辺で終わります。
あくまで個人的な考えですが、1つの参考にしてもらえたら幸いです。
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