【転記】不幸への道

生活

※この記事はメルマガの転記(哲学レポート)です。

今回は「幸せ」について考えてみようかと思います。

「幸せ」「幸福」というものは酷く漠然としていて、定義もよくわからないものですが、世の中の9割以上の人は幸せを追い求めていると思います。

多くの人は幸せになるために日々頑張っています。

人生のゴールが幸せだという人もいると思います。

「逆に幸せを求めていない人なんているのか?」

と言われると僕も含めてそういう人もいますので100%とは言いませんが、さっきも言ったように90%以上の人は幸せのために生きている気がします。

そこで今回は、そんな大勢の人の気持ちを支配している「幸せ」というものにフォーカスして、僕があれこれ考えた事を綴ってみようと思っています。

ただ、少し角度を変えて考えてみます。

僕は別のところでも何度か「幸せ」についての記事を書いた事があります。

余りにも抽象度が高いテーマですから、毎回視点を変えて、感情という観点から考えてみたり、普遍性という観点から考えてみたりと、様々な角度から見て来ました。

そして、一応の暫定的な答えは出ています。

「人は幸せにはなれない、なろうとするのは不毛」

という身の蓋も無い結論です。

ここの結論に至るまでのプロセスを話すと長くなるのでここではお話しませんが、一先ず僕は幸せになる事を止めました。

先程、幸せを求めていないと言ったのはそのためです。

ただ、今も言ったようにこれは暫定的なものであって、また違う角度から考えれば、違った答えが出て来るとも思っています。

そういうのを繰り返しながら精度を高めていきたいなと思って何度も同じテーマを深堀りしているわけなのですが、今回もそのようにしたいと思っています。

では今回はどういう視点で行くかというと、逆の「不幸」から考えてみたいと思います。

幸せとは相反する「不幸になる」とはどういう事かを考える事により、逆説的に「幸せになる」というのはどういう事かを見て行こうという発想です。

ある意味で、不幸は幸せより分かり易い気がしています。

人は幸せである事をを明確に感じる事は余り無いですが、不幸である事を自覚する事はよくあります。

「今、幸せですか?」と聞かれて素直に頷ける人は余りいません。

「う~ん、どうなんだろう?」と悩む人が多いと思います。

でも、「今、辛いですか?」と聞かれて頷く人はたくさんいます。

人はポジティブなものよりネガティブなものに反応しやすいという心理学の法則もあるように、実感の強い不幸に基づいて色々考えてみるのは1つ有意義な議論になるのではと思うのです。

そんなわけで不幸について考えてみたいと思います。

不幸になる方法です。

最もきつい罰

それではまず、不幸を考える上での叩き台として興味深いと思った実験を紹介しておきたい思います。

それは「犯罪者への一番きつい罰は何か?」というものです。

犯罪を犯して刑務所に入れられた極悪人に対して、どんな刑罰が一番きついかを考えた実験です。

あなたはどう思いますか?

例えば、自分の身内が殺されてしまったとして、その犯人にどんな過酷な罰を与えたら、最も苦しめる事ができるでしょうか?

リンチでしょうか?

死刑執行でしょうか?

無期懲役でしょうか?

この実験ではこんな結果が出ました。

あるA地点に砂が山積みされていて、被験者にはそれを別のB地点に移動させてもらいます。

シャベルなどの道具は使わせてあげて、2~3時間かけて砂を移します。

当然、A地点に砂は無くなり、B地点に砂が山積みされた状態になります。

今度はB地点に山積みされた砂を元のA地点に移してもらいます。

さっきと逆の事をさせるわけです。

それが終わったらまたB地点に移させ、それが終わったらまたA地点に移させ、これを延々と繰り返します。

これが最も囚人を精神的に追い込む方法でした。

どのような判定方法を用いたのかはわかりませんが、この方法が一番精神にダメージを与える事がわかったのです。

人が壊れる時

つまり「意味の無い事をさせる事」でした。

先程の作業は全く意味がありません。

砂の置き場所を交互に入れ替えるだけで、何の意味合いもありません。

それで誰かが助かるわけではありません。

逆に迷惑がかかるわけでもありません。

何もありません。

ひたすら無意味です。

この作業が人を不幸にするのです。

被験者は最初の内は何も感じないと思います。

A地点からB地点へ砂を移動する1回目は、単純に肉体的疲労が溜まるだけです。

B地点からA地点へ砂を戻す2回目も、そこまではきつくないと思います。

しかし、3回目4回目とやっていく内に自分のやっている事には何の意味も無い事に気付き始め、それを続ける事で精神的に病んでいってしまうのです。

人は「無意味さ」で壊れます。

自分の存在に意味が無い、自分はいなくても同じだ、という事を自覚してしまうとアイデンティティが崩壊し、生きる意味を見失ってしまうのです。

それは電気イス送りにされるより、首を吊られるより、一生牢獄に入れられるよりずっと辛い事なのです。

以前のコーリングの回で話した「労働(Labor)」の感覚に近いと思います。

やっている事に意味を見出せない仕事を、やらなければならないのは苦痛です。

工場に閉じ込められ、何の役に立つかわからない部品を機械的に延々と作り続けるような仕事をし続けていたら、人はぶっ壊れるのです。

人を不幸にする方法

この「無意味」という感覚、もう少し突き詰めると「不必要」になると思っています。

誰からも必要とされない、誰の助けにもならない、何の役にも立たない、こういう感覚がきついのです。

実は僕は以前、プログラマーとして働いていた事がありますが、入社したての頃、自分の書いたプログラミングを没にされ、先輩がイチから全て書き直した事がありました。

1ヶ月位かけて頑張って書いた初仕事のプログラムが全く無かったものとされ、挙句の果てには先輩に仕事を取られてしまったのですが、この時程辛かった事はありません。

自分は何の役にも立てない、チームから必要とされていない、むしろ給料をもらっている分、迷惑をかけているだけじゃないか、そんな気持ちになって死にたいと思ったのを覚えています。

あなたも考えてみて欲しいのですが、人生で死にたいレベルまで追い込まれた時は、だいたい「不必要」を自覚した時だと思います。

僕は転職で十数社から落とされ、酷く落ち込んだ時期もあります。

それは生活ができなくなるから困って落ち込んだわけではなく、こんなにも自分は必要とされていないんだという事を実感し、悲しくなって落ち込んだのです。

失恋した時もそうです。

別に性欲処理の相手がいなくなるから困って落ち込んだのではなく、もう自分を必要としていないのだという事が寂しくなって落ち込んだのです。

そう言えば、最近は一般的な方でもブログを書く方が増えてきましたが、誰も読んでいないブログを書き続ける事程、しんどい事はありません。

僕も独立した当初、お金が無くて苦しんだ時期がありましたが、何よりも辛かったのは自分の書いたメルマガを誰も見てくれない、誰も反応してくれない事でした。

それ程までに人は不必要さによって不幸になっていくのです。

ですから人を不幸にしたければ、一番の方法は「物」扱いする事です。

お前は必要ない、お前で無くてもいい、お前は物と同じで代替可能なんだ、という事を伝える事で人を不幸に陥れる事ができます。

自殺の止め方

さて、不幸は不必要さから来るとしたら、幸せとはどうなるでしょう?

不幸の逆から考えてみれば、「必要とされる事」という事になります。

人の役に立ったり、誰かの助けになったりと、他人に対してプラスの影響を与える存在であると自覚できる事が幸せという事になります。

この考え方は「夜と霧」で有名なヴィクトール・フランクルという医師の幸福論にも繋がっています。

彼は精神科医で、鬱病で死にたいと言ってる人とたくさん関わっていました。

その中で患者の行動にある共通点を見つけます。

自殺願望がある人に対して、

「生きていれば楽しい事がある」

と言うと、ほぼ思いとどまりません。

つまり、自殺します。

しかし、

「あなたを必要としている人がいます」
「あなたの助けを待っている人がいます」
「あなたが生きてる事でこんなに世界が変わります」

と言うと、ほぼ思いとどまるのです。

つまり、人は人から必要とされている限り、死ぬことはありません。

逆に言えば、自殺したいと思っているような状態であっても、必要とされる事で、幸福を感じる事ができるのです。

僕はこの事実は非常に重要だと捉えていて、上っ面ではなく深く自覚しておくべきと思っています。

例えば、日本人は毎日約100人が自殺しているわけですが、この状況は幸せや不幸のあり方を理解しておけば、かなりの確率で回避できる可能性があります。

必要とされるような生き方を選択できさえすれば、自殺するなんて事にはならないからです。

欲求の5段階

難しいのは欲求との兼ね合いです。

マズローを知っている人はわかると思いますが、人から必要とされたいという欲は次元が高いため、いきなりそこに行くのは気持ち的に難しいのです。

知らない方のために簡単に書いておきますが、マズローの欲求5段階というのがあります。

  1. 生理的欲求(食べたいとか、おしっこしたいとか、息を吸いたいとか)
  2. 安全の欲求(襲われないところで寝たいとか、安定した給料とか)
  3. 親和の欲求(友達が欲しい、恋人が欲しい、家族が欲しいとか)
  4. 自我の欲求(名誉、尊敬、出世、人に認められたいとか)
  5. 自己実現(自己表現により他者を救い、生きてる意味を実感する)

こういう欲求の段階があって、人間は1から順に欲求を満たしていくと言われます。

先程難しいと言ったのは、不幸を回避し幸せを感じるための「他者から必要とされる」が欲求の最後の方にあるという事です。

人間はどうしても順々に欲求を満たしていく性質があります。

その順序は生物として必要な事でもあります。

食べ物を確保しなければ死んでしまいます。

家が無ければ襲われてしまうかもしれません。

家族を作って子孫を残さねばなりません。

その上で認められたい欲も出て来るでしょう。

しかし、それらは単純に「生きる」ためのものであり、「幸せ」とは関係がありません。

むしろ、それらを優先させる事により、「不幸」になる事があります。

それは安定した職業に付き、結婚して家族も作り、マイホームまで持っているような一見幸せ風な人がどんどん自殺していく事からもわかると思います。

自己実現の欲求はマズローでは最上位にあるので、「いつか行けたらいいな」程度に軽視されがちですが、実はめちゃくちゃ重要です。

「他者から必要とされる」という人間にとって無くてはならない物を授かれる唯一の場所であり、それが無いと不幸になる可能性が高いからです。

少なくとも幸せにはなれないでしょう。

いきなり自己実現を意識するのは欲求5段階に逆らう事になるので難しいというのはわかります。

しかし、敢えてその道を歩む事こそ「善く生きる」という事であり、そういう人にだけ幸せが訪れるのではないかと僕は思うのです。

逆にこの事を理解せずに欲求の下ばかりを見て、幸せ風な事ばかりしていると、人生は危うくなってくる気がしています。

必要性の本質

さて、幸せになるには必要性を自覚しなければならないという事が導けたわけですが、では必要性とは具体的にどういう事でしょうか?

人から必要とされると言ってしまうと、ある意味で凄く簡単な事のように思えてしまう気がします。

それこそ仕事に付いてさえしまえば、それが仕事として成り立っている以上、必要とされていると言えなくもありません。

労働(Labor)であっても、必要とされていると言えてしまいます。

しかし、それで幸せでしょうか?

スーパーやコンビニのアルバイトをして、「幸せだなぁ」と噛みしめられるでしょうか?

工場の生産ラインでひたすら機械的に同じ事を繰り返すような仕事に付いて、幸福でしょうか?

NOだと思います。

いつまでもそんな仕事をしていたら、幸せになるどころか、きっと不幸になってしまう気がします。

ここが難しいところなのですが、他者から必要とされるという事は、単純に役に立てばいいわけではありません。

その役割が「あなたにしかできない」という代替不可能なニュアンスが入っていなければいけません。

アルバイトやパートは言わずもがな代替可能です。

別にその人でなくてもその店は回ります。

レジの打ち方などのマニュアルを覚えてもらえれば、誰でもやる事ができるようになっています。

工場の生産ラインに至っては機械にだってできます。

代替可能な仕事をしているという事は、本質的に必要とされている事にはなりません。

「あなたが必要」「あなたでなければダメ」

こういうものでなければいけないのです。

幸福への道

つまり、ユニークです。

ユニークで人の役に立つという事において、本当の意味で他者から必要とされると言えるのです。

必要とされるという事は、ユニークであるという事であり、幸せになりたければ、ユニークであれという事です。

人の役に立ってもユニークが無ければ、不幸にならない程度の力しかありません。

しかし、ユニークを持って人の役に立てば、幸せという領域に繋がっていきます。

ユニークがあるか無いかにより、その人の人生は大きく変わっていくのです。

先程、マズローの自己実現の解説のところで、

「自己表現により他者を救い、生きてる意味を実感する。」

という風に書いたのですが、これは正にユニークの事を言っています。

自己表現をするという事は、自分のユニークな面を主張していく事です。

その上で他者を救う事により、人から必要とされて生きる意味を噛みしめられるのです。

こうして考えていけば、コーリングにも繋がるのがわかると思います。

神の声、即ち天職は自分のユニークな部分が他者から規定される事で見つかるという話をしたと思いますが、天職探しも幸せ探しも、結局はユニークなのです。

他でも無い「私」というものをどれだけ構築し、周りに流されず如何にその価値観を打ち出していけるか、それにかかっているという事です。

万学の祖と呼ばれたあのアリストテレスも幸福をこう語っています。

「自分の能力を全力で出す事」

彼は自分の能力をフルパワーで発揮している時が「善」であり、自分らしさが確かに現れている時が「幸せ」であると考えていました。

同じ事を言っていると思います。

自分の能力、自分らしさ、それはユニークです。

ユニークを発揮して世界のために生きる事こそが、幸福に繋がる唯一の方法なのです。

他者の幸福

という事で不幸から逆説的に考えた幸せになる方法が導けたわけですが、最後に補足で他人を幸せにするにはどうすれば良いかについて。

それは、その人の「存在」を愛する事です。

「愛する」という言葉が宗教っぽくて苦手であれば、「肯定する」で捉えても構いません。

もうわかると思いますが、「存在」とはユニークの事です。

存在はその人そのものを差していて、誰かと交換する事ができません。

つまり、存在を愛されるという事は、ユニークで人の役に立つと同義であり、それは幸せに繋がります。

これは人を不幸にする方法からも導けます。

人を不幸にするには物扱いすればいいと言いましたが、物扱いの逆は、存在の肯定です。

「物」は代替可能なコモディティで、「存在」は代替不可能なユニークだからです。

物として扱う事と、存在を愛する事は裏表で、不幸と幸せの対立でもあります。

母親が自分の子どもに対して「成績が悪いから」など特定の「能力」に対して評価すればその子どもは物扱いされたと感じて不幸になるでしょう。

逆に、頭が悪かろうが運動ができなかろうが、その子どもそのものに思いやりを向けられれば、その子はきっと幸せになるでしょう。

お子さんのいる方は特にこの辺に気を付けてみて下さい。

とまあそんなこんなで長くなってしまいましたが、今日のところはこの辺で終わります。

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コメント

    • お豆猿
    • 2017.04.09 12:07am

    はじめまして、
    最近メルマガを登録させていただいてます!
    結論から言わせていただくと
    感謝で、ございます!
    私24の代になる者で、筋トレと栄養について
    とても興味を持ち自分で実践中です。女性です。
    世の中何が正しくて何が悪いのか?もちろん健康な事もを自分の中で本を買ったり調べたりしている中で、黒羽根様のホームページにたどり着き植物性ミックスプロテインArtを購入させていただきまして、筋トレとお酒についてや、様々な世の中の裏情報というか、隠されてる事を少しですが拝見する機会がございました!私はこれからパーソナルトレーナーという道へ進むべく進みたく今ジムの仕事をしながら資格をとるべく勉強をしている過程です。それと仕事で共感し寄り添う事が大切!!と言われていたのですがそれが正解でなくそこで止まってしまう事に成長のないものと気づかされました!これから私も成長するうえで沢山の事を学ばせていただき自分で調べて行きたいと思いました!という感謝したくコメントさせていただきます!
    まだ、いろいろ掴めてないですが何度も読み返して理解していきたいです!
    ありがとうございます!調べていて良かったです!
    本名は、佐藤 知美です。

黒羽根雄大黒羽根雄大

物理学専攻・元プログラマー、体を壊して仙人を目指す事になりました。

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